生命環境科学研究科 国際地縁技術開発科学専攻
湯澤規子先生
筑波大学大学院博士課程在学中に博士論文を書きながらの出産・育児、小学校に入っての子育ては、その時々のご自身の工夫に加え、タイミング良く周りの方の支援が得られたそうです。ご自身の研究が人生指南になっていると語る湯澤先生の子育てについて伺いました。
湯澤先生のご専門は農村社会学・農学史ですよね。
どんなきっかけでご研究分野に出会い、教員になられたのですか?
私はもともと地理学を専攻しながら地域の歴史的なことについて研究を進めていました。その過程で、農村社会学や農史学へも視野が広がり、現在ではこちらのほうが専門になっています。学生の頃、フィールドワークを経験し、自分の知らない地域や世代の方に話を聞くことがありました。当時は、女性の仕事といえばオフィスで働くようなイメージを持っていたのですが、フィールドワークに出かけ、農村で女性が生き生きと働いている姿が新鮮で、地域調査を通して様々な生き方を知ることに魅力を感じました。また、祖母や母から話を聞く中で、女性たちがどのように生きてきたのか、家族史や女性の生き方にも興味を持ちました。
教員になったのは、学校という現場に関わりながら、研究の延長線上で仕事ができればと思っていたところ、縁があって大学の教員になることができました。いずれにしても、学生たちと学んだり、議論したりする場に身を置きたいという気持ちがありましたね。
ご家族についてお聞かせ下さい。
1歳年上の東京の民間企業に勤める夫と10歳の子供と共に、つくばと東京の中間点に住んでおり、自宅からスープの冷めない距離に私の実家があります。夫は会社員で朝早く夜遅いので、週末は夫が積極的に家のことを分担してくれることでバランスをとっています。
朝は忙しいので、朝食はひとりひとりのお盆に載せてあり、食べたら自分のものは自分で片付けてもらうようにしています。朝の洗濯物干しとごみ捨てはだいたい夫が担当しています。洗濯物をたたんでかごに入れておき、夫が持っていって干しやすいようにという一工夫をして、家事を楽に、自然にやってもらえるようにしています。このような緩やかな分担はあるのですが、明確な分担は決め過ぎず、その時にやれる人がやるようにしていますね。
妊娠・出産は博士後期課程在学中にされたのですよね。いろいろと大変ではありませんでしたか?
妊娠期間は順調で体力もありましたし、極めて健康でしたので、おなかが大きい時には周りの方に心配かけてしまっていましたが、出産直前まで大学に来ていました。思ったより大変だったのは産後でした。休学はせず、出産して3カ月後の2学期に入ってから復帰しました。預けてきた子供が気がかりでしたし、お乳がはっても飲む子は離れているし、搾乳する場所もなく、また、ゼミは長時間だったので、思っていた以上に自分が消耗していました。
当時、保育所にもすぐには入れなかったので、2年間限定ということで、家族ごと実家に同居させてもらい、大学にいる間、子供は母にみてもらって、家に帰ると搾乳したお乳を飲ませました。この時期は、家族、特に母の支援がなかったら過ごせなかったと思います。 家に帰ってからは子供を横に寝かせながら論文を読んだり書いたりしていました。私が論文を書いている机の隣の机に子供が膝かけをかけて寝ています。同じ研究室の院生が面白いと撮ってくれた写真があるのですが、これがその写真です。
ベランダのプールで子供を遊ばせながら本を読むとか、子供の友達が遊びに来る時も、子供に目を配れる場所に机があって、そこで自分が仕事をしている…それが日常の風景です。いつも何かしながらです。手が離れてくると研究に集中できるかと思ったのですが、実際はそうではありませんでしたね。この写真を見ると原点に戻ることができます。
私の研究対象である農村の機織りをしている女性たちも、傍らに子供を寝かせて仕事をしていました。こういうやり方があっていいんだということを、研究をしながら先輩の女性に教えてもらったので、研究自体が人生指南になっています。
子育てすることが研究にフィードバックされ、実体験を通してわかったことから論文を書き直したこともあります。最初の論文では子供が生まれたばかりの新生児の頃が最も大変だと書いたのですが、実体験を基に、ハイハイをするようになった時期の方が大変だと書き直しました。その時、機織りの女性たちからは、子供に柱にロープをつけて子供たちが歩けるようにした話や、寝かした赤ちゃんの上に風船をつけて赤ちゃんが目で追えるようにしたという話を聞いたので、研究と私の子育てが連動しましたね。
お子さんが少し大きくなってからはいかがでしたか?
子供が2歳から4歳までの間、日本学術振興会の研究員になったことをきっかけにつくばに戻り、夫婦二人で子育てをしました。この期間は実家の手のない時期ですね。その後、就職が決まってからは実家の近くに住むようになりました。私の場合、その時どき、母や同僚や学生さんなどに手伝ってもらいながら子育てをしていました。
つくばに戻った当時、私は筑波大学内の教育系の研究会にも参加していました。その研究会に出席するために、教育系の先生と大学院生が、私のために即席の託児所を作ってくれたことがありました。夜に開催することが多かったので、いつも預けている保育所に子供を迎えに行き、その後、研究会の間は学生さんに別の部屋で子供をみてもらっていました。活動記録もきちんと作ってくれて、私がその日の保育所の様子など預ける前の様子を書いて渡すと、「18:00ブロック遊び 18:30 お絵かき…」と研究会中の様子を書いてくれます。「21:00お散歩」これは、構内のお散歩ですね(笑)。今思うと、子供には無理をさせたなと思います。
丁度、他大学で学内保育所が設置されたという話を聞いた時期でしたが、こんな時間まで対応してくれる保育所はなかったと思います。私以外に預ける人はいなかったのですが、大学の許可をとってくれて、私達なりに安全を確保し、学生さんに迷惑をかけないように配慮し、一時間の保育料を決め、夜でしたのでお弁当をお渡ししてお願いしました。自分からこのようなことは言い出せませんでしたが、大学院生が自分たちでコーディネートすると言ってくれて、とても助かりました。いつも誰か周りの人が手助けしてくれていました。本当に感謝しています。
保育所には生後10ヶ月から6年間通いました。これは、みなさん経験されると思いますが、通い始めは大変ひどい中耳炎になったりして、入所したものの1カ月くらいは保育所に行けず、毎日のように病院通いでした。復帰の体制は整っているのに、実際は思う様には行かない、歯痒い時期ですよね。
博士論文を書いていた時でしたので指導教官に「(離れる時に)泣いている子供を預けてくるので、子供のためにも、時間内で一所懸命がんばります」と話した思い出があります。そこまでして論文を書く必要はあるかと自問することが多い時期でした。でも、それは逆に、この年限までにやらなくてはという良いプレッシャーにもなりました。
保育所は、入所できれば初めは大変でしたが、幸い子供は丈夫で元気でしたので、慣れてくると私も徐々に仕事ができるようになりました。とはいえ、調査や学会に行くことはなかなかできませんでした。そのかわりに、この時期に自分の仕事を仕上げなくてはと思い、3年くらいは学会には行かずに頑張ってみよう、と前向きに諦めました。
お子さんが小学生になってからは、乳幼児期とは違った大変さがありませんでしたか?
保育所に比べて、小学校に入ってからが大変でしたね。
子供が5歳の時に大学の教員になりましたので、小学校1年生の時は大学の教員として2年目でした。大学での仕事に加え、小学校は行事も多く、この時期はそれまでよりもスケジュール調整が難しくなりました。小学校2年生の時は学童保育の運営や、学会の運営が重なり、やりくりが大変でした。同時並行でいろいろやることには慣れているのですが、あまりにも多くなったのでやはり大変な時期でした。
子供が小学生になって放課後どうするかという問題は重要です。私の場合、学童保育に行ってくれれば夜7時までみてもらえましたので、学童保育に行かないようになってからどうするか悩みました。鍵を持たせるには早い、ひとりでは居させられない時期の方が大変で、小学校3年生くらいのほうが大変に感じました。中学生くらいまでは目を届かせていなくてはいけないと思うので、世間的には大きくなって手離れしているように思われながら、公的なサポートはどんどん少なくなる時期に自分でどのように折り合いをつけるかが考えどころだと感じます。
今までの子育ての中でいちばん大変だったのは、小学1年生の時に子供が小学校に行きたくないと言いだした時期でした。初めに何が原因か考えた時に、やはり自分が仕事をしているためだろうかと思って悩んでしまいましたね。そんな時、周りのすすめもあって市の相談窓口に行ってみました。偶然にも、先程お話しした研究会の託児でお世話になった筑波大の教育系の先生と学生さんが相談員としていらしていて、「大丈夫よ」と言ってもらい、私に対しても優しいことばをかけていただき、思わず涙があふれてきたことを覚えています。私自身も随分と気が張っていたことに気がつきました。保育所に何年も行っていたので集団生活には慣れていたのですが、子供も小学生という新しい一歩を踏み出す時に、がんばらなくてはならないという気持ちが働いたことから、足がすくんでしまったようでした。
このことがきっかけで、子供と話す時間がなかなかとれなかったことを反省し、私は子供と交換日記をしてみることにしました。小学校1年生で覚えたての拙い字でしたけど、学校であったことなどをいろいろ書いてくれましたね。それから、朝起きて支度をして学校に行くのではなく、5時半や6時に起きて15分間くらい一緒にジョギングをして気分爽快になってからであれば行けるのではないかと、子供と一緒に朝のジョギングを半年くらい続けました。子供を小学校に連れていくために、夫にも1ヶ月くらい2時間位遅れて仕事に行ってもらうことになってしまいましたが、そうしているうちに学校に行けるようになりました。
大変な時期でしたが、このことがきっかけでいろいろ考え、仕事と子育てのバランスについて見直しをすることができました。今も週に1日はスケジュールを調整して、早く自宅に帰り、子供と過ごしています。仕事ができるのも子供が元気にしていてくれるからだと思っているので、学校に出かける時に「いってらっしゃい」と言えるだけで満足ですね。最近、その頃の日記帳が出てきたので「また、やろうよ」と言ったら「俺、部活で忙しいから…」って断られてしまいました(苦笑)。少しずつ手が離れていくと実感するのもまた嬉しいことです。最近、私がとても忙しくて家でもため息が多い時期に、お風呂からあがってふとテーブルを見ると、麦茶と一緒に「お茶のんでいいよ!!がんばって!むりしなくていいよ!(仕事は)やっていたいならやっていいよ!」というメッセージがありました。…今は逆に、子供に励まされていますね。
大変なことがありながらも、仕事は続けることに意味があると思うのです。
私が調査でお世話になっている織り手の女性達もそうなのですが、彼女達は、経営形態を変えながら織り続けるんですよね。小さい子供がいる時には負荷の軽い賃機(ちんばた)にして請負仕事ばかりにしたり、皆元気で家族の手が揃う時には、自営機屋として大掛かりにしたり、おばあちゃんが病気になると、また賃機にして請負仕事だけにして、織り続けるんです。その時々の優先順位を考えて柔軟に変化させ、止めることなく、その状況で続けるんですよね。
そういう人達を見習って、私もなんとか続いているのだと思います。変化し続ける人生の波を嫌がらずに、今はそういう時期だと、時々遠目に見て冷静になり、前向きに続けている感じです。イメージとしては、いろんなものをくっつけながら自転車操業でゴロゴロ回っている感じ。時々、故障したり、修理したりして前に進んでいる感じです。諦めも肝心なのですが、最初から諦めずに、どうしたらよいか考え、ちょっとやってみようとやってみる。それから、両立するのに、自分ばかり頑張っているという意識ばかり蓄積されると上手く進まないので、夫など他の人を巻き込んでやっています。あぁ、皆でなんとか頑張ってやっているな、ありがとう、という気持ちで。
私の場合、振り返ると、子供を産んでいなかったら、研究を続けていなかったかもしれないと思うことがありますね。出産や育児の経験をお守りみたいに感じています。
先日、子供が10歳の誕生日を迎え、10年後どうしているかという話をした時、「10年後にはお母さんは外国に行って勉強してもいいかな?」と話してみました。その時には子供も自分の世界を持っていて、お互いがそれぞれの世界で何かを目指しているといいですよね。今はできないけど、子供がいるからできないではなく、あと10年したら実現するかも、と考えると楽しいですね。子供の成長とともに、自分のライフステージも変化し、見える景色も変わってくる。それぞれの時期にしかない苦労や楽しみを大切にする気持ちを持ちたいと思っています。博士論文を書いている時も、いつか子供が大人になって、自分を育てながらこれを書いていたんだということに気づいてもらえるといいなと思って書いていました。
子育てと研究を両立させるために工夫されていることなどありますか?
去年、初めて子供と夏休みを過ごすことができました。保育所や学童保育を退所した後の初めての夏休みで、正直に申しますと、少し戸惑いました。夏休みは仕事の面でも調査に出かけるチャンスなのですが、今の私の場合、夏休みには子供が家にいるために、なかなか思うように調査に出かけることができません。ですから、子供が学校に行っている期間に調査をだいたい終わらせておき、図書館や資料室で資料を集めてきて、それらを家でデータ入力したり、論文作成に取りかかれるようにスケジュールを立てています。大学でしかできないことを精査して、それらを終わらせ、「お持ち帰りの仕事」をたくさん作っておくのです。
最近は少しずつフィールドに行けるようになりましたが、以前は行けず、調査が資本の研究なので、暫くはしんどかったですね。フィールドに行けば行くほど良い論文になりますから。そのため、子育て期は研究自体が進まず、新しい研究を始めるエンジンもなかなかかからず、同僚と比べると自分が随分、後ろの方にいるように思えました。でも、長い目で見て、もう少ししたら調査に行けるかも、来年になったら2泊3日で行けるかもとか、再来年は学会発表ができるかもとか、子供のいる女性ならではのサイクルで仕事の長期プランを立てるようになりました。そうすることで、両立できている、いずれできるという希望が持てたように思います。
それから、我が家はちょっと変わっていて、台所の横に自分のデスクがあるんです。ながら仕事を厭わず、夕食を作りながら論文を書いたりしています。仕事を分類すると、例えば、入力する仕事、考える・書く仕事、討論する仕事の3つに分けられます。私の場合、いつでもできるような「入力する仕事」は常に手元においておき、隙間時間を使って進めるようにしています。
研究をしたり、仕事をすることが私にとっては所与のものではないということを、いつも自覚していることが私の強みかもしれません。「論文書くのは辛いでしょ?」とか「両立するのは大変でしょ?」とか言われることもありますが、子育てをしながら、時々自分だけの世界に浸ることができると、むしろ良い気分転換になります。例えば、子供が眠った深夜にむくっと起き出して、データ分析や授業準備をしたりします。静かな一人時間を過ごす、至福の夜なべです。こういう時間は本当に得難いので、普通に考えると大変と思われる時間の使い方も、自分にとっては幸せと感じる時間になることもあります。
子供を持つことを考えている方や子育て中の方にメッセージをお願いします。
私の世代は、先輩の女性研究者が積んだ実績があって、背中を追いかけていく立場なので恵まれていると思います。最初からあきらめなくてチャレンジすることができ、やってみて駄目であれば調整することができます。子育てと研究、どちらかを選ばなくて良い状況、時代になっているので、諦めずにまずは一歩踏み出すことができます。一人で抱え込まず、支援を求めると得られる時代になってきているとも思います。
私がまだ結婚していない時に、二人のお子さんがいる研究室の男性の先輩に、「子供によって研究を諦める必要はないし、子供がいても研究できるんだよ」ということを言われました。私にとってはそれが励ましになりましたね。助けてくれる人が良いタイミングで現れてくれるものなので、ひとりで頑張りすぎず、ふと見渡して助けてくれる人を探す、相談していいんだと思えると心に余裕ができます。
家族はもちろんですが、それ以外にも相談に乗ってくれる、良いメンターがいると心強いものです。私もいつか皆さんのメンターとしてお役に立てるよう、子育てと仕事の渦中で、これからもたくさんの経験を積んで行きたいと思っています。
湯澤規子(ゆざわ のりこ)
1997年 筑波大学第一学群人文学類卒業、2003年 筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得退学 博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員(PD)、明治大学経営学部専任講師を経て、現在 筑波大学大学院生命環境科学研究科 助教。
専攻は、農村社会学、村落社会学、歴史地理学。
著書として「在来産業と家族の地域史-ライフヒストリーからみた小規模家族経営と結城紬生産-」古今書院、2009年(2009年度日本農業史学会学会賞、2010年度地理空間学会学会賞<学術賞>受賞)ほか